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プロフィール:澤上篤人(さわかみ あつと)代表取締役会長 兼 最高投資責任者

70年から74年までスイス・キャピタル・インターナショナルにてアナリスト兼ファンドアドバイザー。
その後、80年から96年までピクテ・ジャパン代表を務める。
96年にさわかみ投資顧問を設立し、99年には日本初の独立系投資信託会社であるさわかみ投信を設立。
『さわかみファンド』1本のみの運用で、純資産は2000億円、顧客数は11万人を越え日本における長期運用のパイオニアとして熱い支持を集めている。
販売会社を介さない直販にこだわり、長期投資の志を共にできる顧客を対象に、長期保有型の本格派投信「さわかみファンド」を運営している。

近著
・やっぱり! インフレがやって来る 明日香出版社
・めちゃくちゃ売れてる株の雑誌ZAiが日本一ブレない長期投資家澤上篤人さんに本気でぶつけた質問状128(ダイヤモンド・ザイ編集部)
・「運用立国」で日本は大繁栄する(PHP研究所)
・長期投資で日本は蘇える!(PHP研究所)
・長期投資家がニヤリとする7つのメガトレンド(角川新書)
・『10年先を読む 長期投資』(朝日新書)『「運用立国」で日本は大繁栄する』(PHP)

1947年 3月28日生まれ 愛知県出身
1970年 スイス・キャピタルインターナショナル社 アナリスト兼ファンドアドバイザー
1974年 山一證券株式会社 嘱託
1978年 澤上事務所 代表
1980年 スイス・ピクテ銀行 日本代表
1982年 ピクテ・バンク・アンド・トラスト社 東京駐在員事務所長
1986年 ピクテジャパン株式会社 代表取締役社長
1996年 ピクテジャパン株式会社 顧問
1996年 さわかみ投資顧問株式会社 代表取締役(現さわかみ投信株式会社)

編集者コメント

今回は、日本で初めて独立系投資信託会社を立ち上げられた、さわかみ投信株式会社、代表取締役会長、の澤上会長にインタビューを行いました。会長はそれまで勤めていた会社を49歳でスピンアウトし、独立して起業されました。

投資信託業務は、役所の厳しい審査を通らないと営業の許可を取ることができません。大手都市銀行系列しか認可を持っていなかった時代に、当時の大蔵省相手に、投資業務の免許を勝ち取った方です。

良く起業するには覚悟が必要といいますが、澤上会長が背負った覚悟は生半可なものではありません。そのような覚悟はどうしたら生まれるのか、このインタビューを通して、そのヒントをつかんでください。

──そもそも投資顧問、投資信託とは、どういった業務を行っているのでしょうか?

貯金をしていたら、今の金利で100万円が2倍の200万円になるのに何年かかると思います?
なんと3,600年かかるんです。定期預金でも1,440年かかるんです。

ということは、まったく財産づくりにならないですよね。

「金」がずいぶん上がったので、いまでこそ注目されていますが、少し前まではボロボロに売られていたんです。
一般生活者にとっては、どこに投資をしたら一番効率がいいかと考えてしまいますよね。

そこに、投資顧問業というビジネスがあるんです。

投資運用や財産づくりのお手伝いを専門にやっているのが投資顧問、あるいは投資信託というビジネスなんです。

──1996年に投資顧問の会社をまず作られたんですよね?そして、1998年に投資信託会社を作られたと伺いましたが、投資顧問と投資信託はどう違うのでしょうか?

まず、投資運用業務には、助言業務と一任業務という2つの業務があります。助言業務というのは、投資した金額の中でどのように投資をしたら良いか、お客様にアドバイスをし、それに対して手数料をもらいます。

一任というのは、契約した投資金額に対し、お客様の代わりに売買の発注、つまり投資運用を行います。

更に、不特定多数の投資家顧客から集まってきたお金を、ひとつのファンドにプールして投資運用をするのが投資信託業務です。

──ということは、最初にアドバイスをする会社を立ち上げられたということですね

そうです。昔は助言業務の方が参入しやすかったんです。

当時、一任業務を行うには、預かり資産が1,000億円以上、投資信託も昔は3,000億円が必要など、とてもハードルが高いものでした。

それが、1998年末の日本版金融ビッグバンで規制緩和がされて、ずいぶん入りやすくなったんです。

それ以前では、投資顧問から投資信託業務へ新規に進出するのは、とてもハードルが高いものでした。ですからそれまでは、せいぜい大手の銀行系列しかありえなかったわけですね。

それが金融改革で最低の預かり金が必要なくなり、参入しやすくなったということです。

──1996年の投資顧問を始めた時の経緯を教えていただきたいのですが

それまでは、スイスの銀行の日本代表をやっていました。1970年から1996年まで世界を舞台とした運用ビジネスに携わっていたわけです。運用ビジネス は、いってみればできるだけ多くの手数料を稼ぐことを主眼としたビジネスです。当然、年金など大口の投資家がメインの顧客となります。

ビジネスをしているうちに、大口投資家ではなく、小口投資家や一般生活者に対して味方になるような運用業務が大事ではないか、と思うようになったんです。

なぜなら、年金制度が日本はもちろん世界的にも問題があるからです。今はみんな不安になってきましたが、私は当時からこれはいずれうまくいかなくなると思っていましたので、小口投資家向けのための財産づくり運用サービスを始めることを決意したのです。

──それは、その前にいたスイスの会社では実現できなかったということですよね

そうです。資産家とか、大口の顧客とかをメイン・ターゲットにしていたビジネスなので、1万円といった小口の投資だと手間ひまがかかるからです。一方で、 私は将来性としてはこちらの方がはるかに可能性が大きいと考えていました。6年間、ビジネス戦略の違いを社内調整したあげく、どうしても折り合えず、会社 をやめることにしました。

──スイスの銀行時代は富裕層向けだったのが、起業の時はサラリーマンや主婦などの小口向けという対象顧客の転換があったんですね

そうです。なぜなら、そういう方たちがこのままだと「年金もあてにならないし、給料も下がって大変な時代が来る」と思っていたからです。

日本経済のほとんど を一般の庶民が作っているわけですから、庶民の生活をもっと安心できるようにするには、どうしたらいいかを考えていました。その役割を誰かがしてあげなくてはいけない、そして、それは本格的な長期投資でならできると考えました。

お金持ちはほっておいても大丈夫なわけですからね。

──その時のご年齢はおいくつの時ですか?

49か50歳といったあたりかな。

──50歳の時にスピンアウトしようと思ったのは、大きなチャレンジですよね?

一般的にはそうなるかもしれないけど、私はその時まででも世界で26年間、淘汰の競争の中で生き抜いてきました。そこで培ってきた運用ノウハウを小口投資家に提供していくのだということに関して、特に気張ったことはありませんでした。

ですから、その時はなにも悩まず行動できたということですね。

──日本人の一般消費者は、銀行に預けるというのが普通で、投資というとリスクというイメージがつきまとい、投資マインドを植え付けるのは大変じゃなかったですか?

そもそも年金なんかも、「あてにならない」と思うぐらいだから、もう十分にリスクですよね。預貯金もインフレがきたら、あっという間に価値が減ってしまいます。

本当のリスクというのは、人生を実際に生きていくうえで「なにが起るか知れたものではない」を前提にして考えなくてはいけません。そのリスクに対して、どのように対応するか、という方法の一つが本格的な長期投資なんですよね。

投資というのは安く買って、高く売るのを繰り返すだけなんです。それでリターンが積み上がっていきます。

ところが、みんな買っているから大丈夫なんだ、と思って買うのが一番リスクがあるんです。みんなと一緒に購入をして、高値づかみをしてひっくり返るのが、よくあるリスクなんです。

それで、みなさん株を博打と考えてしまうんです。

投資というのは、その「みんなと同じ」をしなければいいだけです。投資によって必要なところへお金をまわしてあげて、よりよい世の中を作っていくんだ、という考えでお金をまわせば、リスクなんて本来ないんです。そのような投資の方法を、セミナーなどを通して一緒に勉強しているんです。

投資の勉強とか、リスクの勉強とかではなく、「いい世の中を作っていくために、お金を回そうぜ」という勉強をずっとしています。

──1996年に会社を立ち上げる時に、投資顧問業の許認可などをとるのは、大変だったのでしょうか?

投資顧問業を始めるのは、そう難しくない。ところが、投資信託業務に進出するにあたっては、条件がいろいろあったので大変でしたね。さらに条件を満たしても、許認可を出してくれるかどうかは役所次第なので大変でした。

大蔵省では、金融ビッグバンで投信業務の参入障壁を下げたから、中小の銀行が認可申請に来るだろうと想定していました。ところが、自分のような全く関係ない完全なアウトサイダーがきたので、当時の大蔵省からすると考えられない申請が来たと感じたようです。

私は運用の世界には長くいましたけど、役所の世界では全く知られていませんでしたから、「どこの、何者が来たんだろう」といった反応でした。

毎日、3ヶ月くらい大蔵省に通いましたね。

何せ、出した書類を見もしてくれないので、毎日押しかけて、熱意を伝えました。

さすがに、しつこく通い続けているうちに、だんだんと書類を見てくれるようになってくれましたね。

──創業メンバーは何人だったのでしょうか?

一人です。

事業をはじめるにあたって、仲間を集めてやるなんてことが、そもそも間違っているんです。何かやりたい、と思うのは自分なわけですから、自分でやればいいんです。やって動いて、だんだん形が見えてくるとメンバーが増えていくわけです。

メンバーが揃わないとできないというのは、戯言です。

だから、最初の一年くらいは一人でやってました。

──お客さんはどのように集客されたんですか?

前の銀行を辞めたときは、名刺もすべて置いてきましたから、昔のお客様に連絡するということはありえませんでした。

そもそも運用ビジネスは同じでも、顧客層は全く違うので新規に顧客を集める必要がありました。

私は営業しない、と決めていましたら、勝手に集まってくるのを待つしかないんです。

投資顧問として1996年にスタートさせて、半年以上は何もしなかった。本の原稿をひたすら書いていました。
だんだん、少しずつ噂を聞いて、お客様は集まってきましたけどね。

──なぜ、営業しないと決めていたのですか?

運用ビジネスの本質がそこにあるからです。

私は26年間運用ビジネスをしていたので、その本質から外れてはいけないと思っていました。

運用ビジネスの本質というのはお金を集めてはいけないんです。

自分が得意とする運用スタイルをとことん貫いて、「その運用スタイルいいですね」、と口コミが広がって、向こうから、お願いしてくる人が増えてくることが大事なんです。

お金を集めることを目的に、預かり資産を増やしたり、組織を作ってしまうと、どうなるか考えてみましょう。お金を出してくれた顧客それぞれの目的や時間軸そして思惑が入ってきて、運用資産の中身がごちゃ混ぜになってしまうんです。早く利益が欲しい人と、長い目で利益が欲しい人では、要望が違ってきます。そうすると、それぞれの顧客の要望に対応しなくてはいけなくなってしまい、まともな運用ができなくなってしまうんです。

大事なのは「スモール イズ ビューティフル」で小さく、小さくやることです。最低限食っていける範囲で、自分が得意とする運用ビジネスを行って、堂々と結果を出していくことです。

これが運用ビジネスの本質なんです。

絶対に無理してはいけないんです。

──そうすると、訪問営業などをしている大手の証券会社とは顧客獲得のしかたがだいぶ違いますね?

あれは、運用という名のマーケティングビジネスを行っているんです。

私は営業を一切しないので、長期投資をやりたい方達が口コミで集まってくるのを待つしかありません。

こちらからプッシュするようなことは、まったくしていないですね。

──「生活しなければいけない」、などでグラつかずに、半年間焦らずにやられたというのは、すごいですね。家族も理解してついてきてくれたのでしょうか?

最初、3,000万円の資本金で始めたので、2年間くらいは食べられるだろうという考えでした。ただ、家族に同意は求めませんでした。ちゃんと食わせてあげればいいんですから。

事業というのは、「やりたいのか、やりたくないのか」のどちらかなんです。「やりたい」だったら、ちゃんと家族を食べさせて、家族のことを気にせずにやったらいいんです。

「家族」を言い訳にしていたら、成功しません。

やりたいんだから、必死になってやるんです。そういう情熱が少しずつ世の中やお客様に伝わっていくんです。フラフラしたり、不安な人に、お客様が大事なお金を預けますか?

──「奥さんに反対されて」という起業家も良くいますが・・

そういう人は、はじめからやめろと言っておきたいです。どっちみち長続きしませんから。

──澤上さんのビジネスをやりぬく自信というのはどこから来ていますか?

それは、長いこと世界の運用ビジネスでやってきた経験でしょうね。雇われでやってきたのではなく、「結果がすべて」の世界で生きてきましたから。

日本のサラリーマン運用者であれば、結果が悪くても続けることはできるじゃないですか。世界の運用ビジネスは10年経つと、最初の10人のうち、生き残って いるのは1人か2人。15年たつと、1人生き残っているかどうかの世界です。競争が激しいので、ほとんどの運用者たちはいなくなります。

その中で26年生き残ってきたというのは、私のそれなりの自信となっています。

金融の世界というのは組織の力がものをいいますが、運用の世界は一人で行います。個人個人の胆力、決断力、忍耐力、精神力、様々な力を必要とします。

──投資顧問の次に投資信託を始めたわけですが、そのきっかけはなんでしょうか?

それは98年の年末に日本版ビッグバンというものがあって、それで一斉に規制緩和が行われたんです。それで、即座に申請に行きました。

──投資信託の方がハードルは高かったのでしょうか?

それはもちろんです。

先方も認可を与えた以上、すぐに潰れてしまっては困るので、審査は厳しかったですよ。ちゃんと経営が黒字になるまでの体力がある、というのを理解してもらうのが大変でした。それが伝わるまで、何度も通いました。

資本金の額も1億円以上は求められましたし、スタッフを12~13人まで揃える必要もありました。

──その時は、投資顧問も順調で1億円用意できたんですか?

それは個人的な借金で調達しました。

会社もまだ小さかったし、そもそも融資なんか受けられるわけではありません。

純資産を1億円以上、維持し続ける必要がありますので、赤字が続くと、増資して1億円を維持しないといけないのです。 そうしないと、認可が取り消しになってしまうのです。

更に、途中から急激に規模が拡大してきましたから、そのためのシステムなどの先行投資や運転資金に必要なお金が必要になったので、そのためにも増資しました。

合計8回増資をし、10年くらい、最高で10億円ちょっと近くまで個人で借金をしました。

──それは個人で借金されたんですね

そうです。

──赤字などで、キャッシュでは相当苦労したと思いますが、かなり厳しかったんじゃないですか?

いやぁ、毎月の返済では苦労しました。

──ベンチャーキャピタルとか、ファンド等から、出資してもらい、楽になろうというのはありませんでしたか? ありませんでした。

彼らもリターンを期待しているわけですから、もっと「儲かるビジネスをしたら」とか「他のファンドを始めて、手数料をとったら」とか言われる可能性があったからです。下手に出資を仰ぐと、自分がやろうとしている事業の純度が下がってしまい、方向性がブレてしまう可能性だって否定できない。なにがなんでも自分がオーナーとして経営理念を貫かなければいけない、という思いがありました。

──ご自身が100%株主ということにこだわったということですね。そこまでして、やり通したことというのは何だったんでしょうか?

商売やビジネスのため、起業のためにやっているわけではない、多くの日本の一般世帯者の生活、彼らの子供や孫の将来の幸せを長期投資でお手伝いしたい、という強い思いがあったからです。
その方向性は絶対に変えてはいけない、変えるということは自分自身を否定することにつながります。

──それは、それに賛同する人であっても出資は受けないということでしょうか?

人間はどう変わるか分からないし、あてにならないので考えませんでした。

──心臓が爆発しそうな中で、継続し続けられるエネルギーはどこからきましたか?

成功のためにやっているんじゃないんです。「やらなければいかん」、と思っているからやっているんです。
お客様にもっと喜んでもらわないといけない、という意識の方が強いですね。

──それはご自身にとってのミッションだと意識できていたからですか?

そうです、お天道様からもらった使命だと思ってます。
だから、成功だと言われれば、成功だと思うし、まだ全然だと言われればそうだとも思うんです。

もともとは、運用の世界でビジネスをしてきましたから、お金を儲けて、スゴイ生活をしようと思えばできたんです。ただ、お金儲けというのに、あまり興味がなかったんです。良く、高級ワインを飲むとかセレブとかあるけど、私はぜんぜん興味が無いんです。

私は若い時にお金持ちの世界を経験していて、世界各国で迎賓館レベルの会食もしょっちゅう経験しています。ただすごい生活というのは飽きるんですよ。よっ ぽど、餃子ライスにビール一本の方がうまいんですよ。 世界のトップクラスと会えるから、まったく興味がないということはないんですが、でも、会ってどんな意味があるのか?ということが重要なんです。

ただ会ったことだけをひけらかして、嬉しいのであればそれもよしでしょう。こちらは興味ないから、相手は見向きもしない。
カッコイイお金持ちもいるし、単なる成金でお金しか持っていない人たちもいる。貧しい中で清貧に生きている人もいるし、ものすごく優しくしてくれる人もいます。いろいろな人たちと会ってきたせいか、単なる金持ちに対してはあまり興味がありません。

運用の世界でビジネスをしているときに、たまたま中学、高校の同期と飲んだ時があったんですね。こういう仕事をしいると、中学、高校の同期の仲間は将来 もっと生活が苦しくなることが分かるじゃないですか。更に、彼らの子供や、孫も生活が苦しくなると分かれば、自分や自分の家族だけ安全圏にいても「楽しくない」という思いがふつふつと湧き立ってきたんです。


そのときに、自分がこれまで勉強してきたことを、こういう方々を幸せにするために役立てたい、と強く思ったんです。やっぱり、昔からの仲間とコップ酒を飲む方が、極上のシャンパンをただ飲むよりうまいからね。
彼らを見ていて、自分だけ贅沢していいのかな、と思ったというのが原点ですね。

──会社をやっていく上で守っている信条というのはありますか?

本気で経営をしていたら、そんなことを考えている暇はないですね。どう食べていくか、どうお客様が喜んでくれるか、そればっかりですよ。
お客さんから「ありがとう」と言われて喜ぶとか、もっと喜んでもらいたい、とかそういった気持ちがどんどん出てきますので、信条とかはあまり考えないですね。

──それは、今、この瞬間に集中しているということでしょうか?

そうです、それはずっと思っています。

目の前の課題は明確だし、将来に向けて、今やらなければいけないことは山ほどある。それらをひとつひとつやっているということです。将来の読み込みもしなくてはいけないですしね。

だから、経営をしていく上で、毎日、必死こいてやっているということです。

まぁそれが楽しいんですよ。

私の生き様の中で何か格別にやっているとすると、「切り捨てる」ということを、意識してやっていますね。
たとえば、おつきあいの中でもすぐに計算しちゃうじゃないですか「この人と仲良くやっているといいことがあるかもしれない」とか、「誰か紹介してもらえる」とか、でもその人自身は好きではないとかありますよね。


私はそういったケースでは、どんどんそういった人との関係を切っていくんです。切り捨てれば、二度と会わなくてすむんですから。


やりたいことをやりたいし、好きなことをしたい。だから、好きでないこと、性に合わないこと、ちょっと波長が合わないといったケースは全部切り捨てていく んです。で、それでもって、どう言われようとも、マイナスを起こされようとも、無視です。あれこれと引きずっていない、こだわっていない分のエネルギー は、ロスしていないから、自分がやりたい方向に向けて集中できるんです。


だから、切り捨てというのは、自分の中の生き様としてあります。

──今、この瞬間に取り組んでいらっしゃるとのことですが、澤上会長の場合は、将来の夢が具体的ですよね

私の夢は大きいですよ。 たとえば、今のお客様が12万人なんです。ということは、日本人の1,000人に一人がお客様なんです。それでいいかというと、違う。世の中にとって良か れと思ってやっていることが、喜んでいただけるのであれば、1,000人に一人で終わって、本当にいいものかと思ってしまいます。


10倍になって、120万人になったら、100人に一人、1,200万人になったら、10人に一人、どうして、1,200万人とか2,000万人にならないのかというと、自分の努力が足りないと思っています。
10人に一人になることが目的ではないですよ、より多くの方々に、安心してもらって、信頼してもらって、豊かな生活を送ってもらいたい、そういうお手伝いができるということは、すごい喜びなんです。

そういうことをやればやるほど、多くのお客様のお金を預かるので、50兆円とか100兆円とかのお金になりますが、そのようになればなるほど、それをギャンブル的な短期の投資ではなく、長期の国作り、経済作りにまわすことによって、日本経済がどんどん元気になって、かつ、質が良くなる、そのお手伝いができ るわけです。


運用というサービスによって、そこに住む自分達や、みんなで住む場所や生活をよりよくする、そういう社会を作っていける、さらには経済を元気にできる。


自ら自分の転がっていく先を作っていくことができるわけです。
そうなればなるほど、株式市場において、本格的な長期投資家が、大きな位置を占めるようにできるわけです。そうなると、まともな投資をする人が増えてきて、日本の株価の形成がもっと、どっしりしてくるわけです。


そうしたら、世界の新興国の企業は、長期の経営のために、日本で資金調達をするのか、短期投資家がゴロゴロしている、アメリカのニューヨークやイギリスのシティに行く方がいいのか選べるようになれるでしょう。


あちらは、四半期決算でバタバタしているじゃないですか。こちらへきたら、10年単位でゆっくりした投資をしてくれる、そうすると新興国の企業も日本に来 てくれる可能性があるし、日本から長期の資金を調達して、国内の経済建設にゆっくり使ってもらえる。世界の経済のしっかりとした成長のお手伝いができる。

そうなれば、世界のまともな企業がどんどん集まってくる。 来ればくるほど、長期運用市場ができあがり、長期運用のマネーが集まってくるわけです。

企業が集まってきて、マネーも集まってきて、人も集まってくれば、経済発展の三要素が全部集まってくる。そういった新しい経済発展の中で、日本はいくらだって稼げる、いくらだってすばらしいものができるはずです。

──それは、まさに銀行に流れているお金を、長期投資という形で株式に流して、日本経済をもっと良くしてきたい、ということですね

そうです。その先には、世界のマネー、強欲マネーへの対抗という意識をもっています。

ヨーロッパの覇権は、たかだか400年程度の歴史なんです。その前はイスラム、インド、中国、アジア的な農耕民族が主流だったんです。

今、世界は狩猟民族的なマネーが牛耳っているかもしれないけど、いずれはアジア諸国の経済力が台頭してきます。そうなると、アジア的な農耕民族的な価値観が世界の金融マーケットにおいても存在感を示しはじめます。狩猟民族的な、後は野となれ山となれという価値観ではなく、農耕民族的な長期的に育てていく、といった価値観が重要なのです。その価値観を世界に放り込めるわけです。

だから、私たちが大きくなることによって、世界の成長、社会の安定的な発展のお手伝いができるんです。

──そのビジョンが会社の創業時からずっとあって、本をたくさん書くといった啓蒙活動につながったのでしょうか?

長期投資ということを、やはり分かって欲しかったのでね。

ちょうど96年というとバブル崩壊の混乱がまだ続いており、世の中ではあまりそういった感覚はみんな持ってなかったですよね。今だってないですよ。

さわかみ投信はいまのところ成績がモタモタしていますが、ファンドの基準価額がグンと上がれば、百聞は一見にしかずで、みんなすぐに分かってくれると思います。

これが、一番早いです。

方向がブレていない、みんなが納得してくれる方法論を世に提案している、そして、その方法論もデリバティブといった訳が分からない方法ではなく、真面目でまともな会社を応援していく方法で行う。

方向よし、方法論よし、そして、結果が出てくれば納得度が高いですよね。

いずれにせよ、じーっと「その時」を待ってるんです。

──ビジョンが明確だからこそ、何年も何年もやっていくパワーが必要になってくると思うのですが

そうです、社員の中にもついてこれない人は出てきます。それはしかたがないですね。一般的な運用会社に行きたくなったら、それは止めないです。

世の中を切り開いていくというのは、常に先、先にいかないといけないんです。切り開いていくものが、普遍性や時代適合性を持っていれば、ほっといても、後ろに広がって大きくなっていくんです。

やりたいから、やっていて、気づいたら社員が100人いるとかに、なっているんです。

──今、会長になられましたけど、今後はどのような活動をしていきたいと思われていますか?

さきほど言ったように、100万、1,000万人とお客様を増やしていきたいです。こちらもノンビリしているつもりもないし、広がる世界も作ったし、これはトコトンやっていきますよ。

同時にお金の流れをもっと広めたいです。お金を預貯金やタンス預金に寝かせて置いておいてもしかたありません。経済はお金を使わないといけない、あなたが使ったお金が他の人の収入になるわけですから、その使う方向にみんなを持っていきたいです。

お金を使う楽しみとか、喜びとか、無形のリターン、そういうものをもっともっとみんなが知って、どんどんお金が動くようになれば、もっとおもしろくなると思うんです。そうしたら、日本は良くなると思いますよ。

──最後に起業家へのメッセージをお願いします。

本当に起業のおもしろ味というのは、自分が好きなことをとことん、わがままにやれるというのが、ビジネスの一番のおもしろ味なんです。

やっていることに、だんだんと同調して、組織ができるかもしれないけど、少なくともビジネスで一番楽しいのは、好きにわがままに自分勝手にできることなんです。こんなおもしろいことはないんです。

ところが、政治を見ていても、「多数決」とか、「調整」とか、「議論をつくして」、とかばっかりやっているじゃないですか。ビジネスというのは議論をつくす必要がないんです。判断して行動すばいいわけですから、勉強して判断して、胆力も含めて、そうすれば、スピードが上がりますよね。

このところを、しっかりわきまえてやれば、ビジネスは「面白いよ」、と思います。なんだかんだでグチャグチャやっている、これはビジネスではないんです。

「会社のため、株主のため」に仕事をしているとなると、ちょっとしんどくなりますよね、ビジネスで一番いいのは、勝手に好きなことをすることなんです。

──自分が一番したいことを見つめて、やり通せばいいということですよね

だから、ものすごく楽しいことだと思います。芸術家も好きなことだけをやっているじゃないですか。あれと同じ。

周りがグチャグチャ言っても、ほっといて先に行けばいいんです。

本日は、ありがとうございました。

編集後記

澤上会長とのインタビューを終えて、自分が最初に起業をした10年前の時を思い出していました。

私が最初に起業をした時は、恥ずかしながら、お金を稼ぎたくて起業をしたいのか、自分の価値観を世の中に広めたいのか、自分のしたい事が良く分からないまま、起業しました。
当時は、起業をしたくて起業をしてしまいましたので、ミッションも何も考えていません。

結果として、それが経営のブレにもつながり、メインの業務が時代によってコロコロ変わる会社となってしまいました。

初めて起業をすると、うまくいかない事の方が多いので、場当たり的な経営をしがちです。1ヶ月も売上げがないと、慌ててサービスを変えてみたり、広告をやめてみたり、といったことは良くしてしまう行為です。それで、色々やってみたけど、結局ダメでした。というのは良くあることです。

澤上会長はご自身がすべきこと、成したいことが、とても明確でした。その自信が、ブレない経営につながっているのだろうと思いました。

起業は楽しいのと同時に、大変な事がつきまといます。でも、自分のやりたい事が明確で、それをとことん追求すれば、結果は後でついてくる、ということを学ばせてもらったインタビューでした。


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