プロフィール:島根 太郎社長
1965年東京都目黒区生まれ
1988年中央大学商学部商業貿易学科卒業
クリスマス輸入雑貨事業、自然食事業等を経て、
2003年株式会社エムアウトに入社。複数の事業開発や起業の仕組みづくりに関わる。
2005年よりキッズベースキャンプの事業開発に着手し、2006年5月事業部化と共に同事業部長に就任。
2008年9月会社分割により株式会社キッズベースキャンプの代表取締役に就任。
中学生と小学生の二児の父。
ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/kidsbasecamp/
【講師】
2010日本生産性本部「経営アカデミー」新規事業開発コースのゲスト講師
東京都市大学人間科学部 ゲスト講師
2011高崎経済大学「社会起業論」ゲスト講師
日本生産性本部「経営アカデミー」マネジメント・ケイパビリティ養成コース ゲスト講師
【講演】
Global Entrepreneurship Week Japan2009(70カ国以上の国々で同時開催される、起業家精神を啓蒙する世界イベント)において『ピーター・ドラッカーと社会的企業』のセッション(基調講演 野中 郁次郎 一橋大学 名誉教授)の社会起業家パネリストとして講演に参加
国際大学グローバル・コミュニケーションセンター 2008
経済産業省 2007
昭和女子大学付属昭和小学校2010
ベンチャーフェアJAPAN(中小企業基盤整備機構)2010
総合ユニコム保育ビジネスセミナー2010、2009
みずほ証券(ダイバーシティ推進室)2008
日本体育協会 2011
編集者コメント
東京の東急沿線で小学生の学童保育サービスを展開しているキッズベースキャンプ(http://www.kidsbasecamp.com/)。
ただ子供を預かるサービスだけで無く、子供の人間力を伸ばすための取り組みは、多数のメディアに取り上げられ、ハイ・サービス日本300選(サービス産業生産性協議会)にも選ばれています。
現在は東急電鉄の100%子会社ですが、元々、株式会社エムアウトの中で立ち上げた事業です。
今回は島根社長に創業の経緯、そしてエムアウトから東急電鉄への売却の経緯などをお聞きしました。
──起業しようと思ったきっかけは、何だったのですか?
大学生の頃から人をサプライズして楽しませることが大好きで、また、雑貨が好きだったので、そういったものをビジネスにすることを考えていました。
「起業家」といったような大それたものではなく、小さな雑貨屋を開くことを夢見ていました。その時は、自分が社長になるなんて、無理だと思っていました(笑)
──マクドナルドに入られたのは、店舗運営を学ぶためだったのですね
就職先として雑貨屋を探してみたところ、当時は、ソニープラザくらいしかなく、しかも募集をしていなかったので、どうしたらいいかと思っていました。
そして、店舗運営を学べるところとしてマクドナルドを選びました。
──マクドナルドは、2年半で退職されていますね
当初より3年から5年で転職するつもりで入社したマクドナルドでは、人のマネジメントを中心に店舗運営を学びました。
しかしこれ以上長くいてもマクドナルドを極めるだけだと感じはじめ、自分の夢の実現へ向け、雑貨の業界への転職を急ごうと考えていきました。
──ずっと、「雑貨屋」という想いがあったのですね
そうです。そして、運良く店長職が見つかって転職しました。
更に、1年後には事業責任者を任せてもらえて、在庫整理から始まり海外買い付けをするバイヤー兼経営者として多店舗化による事業拡大をするなど、色々チャレンジさせてもらいました。
最初の転職は25歳で社会人4年目でした。
ここには7年半いましたが、親会社の事情で利益の出ていたこの事業の売却が決まり、夢であった自分の起業を実現しようと決意しました。
その当時はこの事業で自信がつき、夢であった雑貨屋経営以上のことができていたので、思い切って別のことをやろうと考えました。
──そして、雑貨屋ビジネスの次で本格的に起業をされたわけですが、どのようなビジネスでしたか?
自然食のデリカフェです。長男が生まれたことがきっかけとなり、何か社会に貢献がしたいと思い、起業しました。
なぜ、自然食のデリカフェかというと、実はアンチマクドナルドで少子高齢化社会に役立つ事業をつくろうと考えました。
自分の子供にマクドナルドを食べさせたくないと思いまして。
それと、日本の自然食は、体には良いのですが、まずくて高い。
自然食を日常食にしたいと思い、お総菜をデリスタイルにして、テイクアウトもできるようにしました。
──その時の資本金はどうされたのですか?
自分と家族や親族から集めて、家族経営の有限会社として起業しました。
──最初の起業は順調でしたか?
オー プンしてまもなく経営的に厳しい、計画と現実のギャップに直面しました。
商品の単価が安いので量が売れないと儲けが出ないため、来店客数のボリュームが 必要でした。毎日来るファン層がいても当時はまだ広くは受け入れられなかったのです。
もちろん、奇跡が起きる可能性も考えましたが、最悪のことも考えなけ ればいけない、と思っていました。
その後、メディアにも良く取り上げられましたし、東急フードショーという地下の飲食店街に出店もしたので、そこでブレークできたら、とも思いましたが、自分が設定していた目標を達成することができなかったので、そこで辞めようと決めました。
──よく撤退の決断ができましたね
継続が難しいと感じた時からどこで幕を引くか決めていました。開業してすぐやめてしまえば、何も経験として残らない。
ほぼ失敗とわかっていても、従業員と取引先の支払いができる限界ぎりぎりまで、諦めずに挑戦したかったのです。
市場調査もやりましたが新しい業態では役に立ちませんでした。始める前は成功することしか考えない甘い計画。
資金的にもぎりぎりで、二の手、三の手を打てなかったのです。高い授業料を払うことになりました。
──その後は、ドトールに入られたのですね
自分の年収を高くしてくれるところに移ろうと、一生懸命に転職活動をしました。
──この時、再び起業をするつもりで、転職されたのですか?
そうですね。負けず嫌いなので、負けたままではいられないと思っていました。
──ドトールの後、エムアウトという会社に移られましたが、移られた理由は何でしょう?
エムアウトは、起業をビジネスにする会社。事業のインキュベーションからアーリーステージに特化し、成功確率を高め、キャピタルゲインを主な収入とするモデルです。
社員が起業したらイグジットして売却していく、という仕組みです。
募集時に「マーケットアウト」と書かれていたのですが、「マーケットアウト」っ て何だ?って思いながら応募しました。未だに良く分からないんですけれどね(笑)
でも、やることが決まっていないのは面白いな、と思って応募しました。
それと、社長が顧客志向で、パラダイムシフトをしようとしている方だったことにも、興味を持ちました。
──その時、エムアウトには、何人くらいいたのですか?
10人くらいでしたね。ある新規事業の立上げに関わり、その後田口社長が進めようとした現在の「起業専業企業」の実現のため、起業の仕組み化やバックオフィスを整備する仕事を担当しました。
ただ、斬新なことをやろうとすると、失敗だらけなんですよね。ですから、そこで成功確率をいかに高めるか、ということがミッションでした。
起業して成功する会社を良く「千三つ」と言うのですが、田口社長には、もっと確率を上げろと言われました。
──そんなエムアウトの中で、「キッズベースキャンプ」の話が出てきたのですね
エムアウトに入って事業と仕組みづくりを経験し2年半経過した頃、当時の役員の推薦で、新規事業の提案をするチャンスを得ることができました。
それは2005年の9月でした。会社からは、「マーケットアウトのビジネスであること」、「東証一部に上場するような規模であること」という条件を出されまして、私は、2〜3週間で事業アイデ アをまとめました。
ちなみにそのとき、私の中では軸を決めていました。
それは、「社会性があるもの」、「No.1になれるビジネスであること」、「肌感覚 でマーケティングができるものであること」。
当時、私は子育てをしていて夫婦共働きで、保育園などで相当苦労をしていましたし 、教育に感心がありました。そのため、「子供×教育」の分野に絞りこみました。
──どのようなプロセスで起業することになったのですか?
半年で事業開発を行い、事業が経営会議で承認され事業部となる。その後市場に出て、成長して次のステージに進める判断されると会社化という流れでした。
──最初のスタッフはどうされたのですか?
最初は1人だったんです。ところが調査をしていても1人だと厳しいので、色々な人に手伝ってもらっているうちに、社内で参画してくれる人が出てきました。
そしてもう一人、どうしてもタイプの違う人が欲しかったので、外部から知人を口説いて、エムアウトの社員にいなってもらい、参画してもらいました。
私は、リーダーシップを強く発揮するタイプではないし 、能力的に限界があると思っていましたので、自分とは違うタイプで、なおかつ、自分のことを批判できるタイプの人を入れようと思っていました。
2人がバチバチやりあっても、もう1人が仲裁できるようなイメージで、最初の経営チームを造りました。
私はマーケティングで、アイデア出しをするのが得意でした。あとの2人は、ロジカルに考えられて財務が得意な人間と、商社で営業力があってバリバリ進められる人間でした。
──企業理念はすぐに作られたのですか?
最初の段階で、企業理念は作っていて、「キッズベースキャンプ」のミッションもできていました。
当初は議論もありましたが、この事業はこういうものだ、ということで、二人にもコミットを求めていきました。
──ということは、最初の企業理念は、島根社長お一人で作られたということですね
そうです。理念に関しては、全部自分で作っています。ブランドにかかることも全部。
例えば、この事業は「保育事業」なのか「教育事業」なのか、どちらでお金をとるのか、というような点は、経営会議でたたかれていくうちにどんどんブレてくるので、この事業は「子育て支援だ」ということを明確にするようにしていきました。
議論を進める中では、上位概念を握らせる、ということを何よりも大事にしていました。
私は、理念と利益は相反しない、という考えでしたが、この ビジネスはそんなに儲かることではないということは、株主にも、理解してもらうようにしていました。
──企業理念を作る際に、3人で作り上げるのではなく、島根社長が思っていたことを2人に上手に落とし込んでいる、というのが独特ですね
そうですね。創業前の作成したパワポを今見ても、全くブレていないんです。
──そのパワポは、どの程度時間をかけて作られたものなんですか?
3週間程度で作りました。思いつくと、一気に作るタイプなので、どんどん思いついて作りました。当然、調査もそれなりにしましたけれども。
──迷い無くスパっと作れたというのは素晴らしいですね
とはいえ、その時点では、ビジネスモデルを限定するところまでは、いっていないんです。
事業ドメインだけを決めて、何のために起業するのか、といったミッションを明確にしたんですね。
そこからコンセプトを固めていったのですが、そのコンセプトも当時から変わっていません。
──そここそが、一番成功されたポイントのように思うのですが
そうですね。全く新しいもの、というのは、常にブレるんです。変わっていくんですよね。
変化させちゃいけないところはどこなのか。それをメンバーに確認していくことが大事ですよね。
それと株主にも握らせなくちゃいけない。
──立ち上げ時の資本金の部分は、エムアウトが出されていたのでしょうか?
最初は事業部だったので、資本金というものは特にありませんでした。
その代わり、うまくいかなかった場合には、責任者がすぐ交代、という事になります。
実は、当時立ち上げた事業の責任者が変わらなかった事業は、「キッズベースキャンプ」だけでした。
──想いをもって事業を大きくしたのに交代、となったら悔しいですね
そうなんです。事業への経営者の想い、というのは大事なので、うまくいかなかった場合に経営者がすぐ交代、というのは、果たしてどうなのかな?と思っていました。
──他の事業に比べて、最初の立ち上げをうまくできた理由は何だと思いますか?
実際の事業と計画との乖離が非常に少なかったことですね。
他の事業は、まったくやった事のないような新規事業ばかりだったので、実績が経営計画の半分もいっていないものが多かったのです。
その中で、私たちが立てた計画は、実際の数字とそんなに乖離がなかったのです。
──それは、現実的な数字で立てるようにしたからでしょうか?
いえいえ、計画自体はストレッチさせられました。
ビジネスの特性上によるものですが、収入が、会員数でほぼ決まるんです。
春に一度入会するとそのまま会員は継続していくんです。ですから着実に、前年対比で伸びていく事業なんです。
──顧客満足度を高めておけば減ることのないビジネスモデル、ということなんですね
そうです。
──起業してから一番大変だったことは何でしょうか?
大変なことはたくさんありましたが、モティベーションマネジメントを仕組み化するところまでがとても大変でした。
「教育」に対する思いや価値観っ て、人によって違うんです。
それをどう共通化していくか、一つの方向に向かせていくか、というのが大変なんです。
それで作ったのがクレドです。
あのクレド は、私が作った理念を元に、従業員を巻き込んで作りました。
──クレドはいつ作られたのですか?
開業して1年後です。1年かけて作りました。
──クレドの浸透は、どのようにされているのですか?
実は、携帯させているだけで、朝礼とかではやっていないんですよ。
会社によっては朝礼とかで復唱したり、暗記させたりしているようですが、私はそういうのは 大嫌いなんですね。
あくまでも社員の自主性を重んじたい、というのがあったので。言葉を一字一句覚えていなくても良い。その精神がちゃんと浸透してくれれ ば良いと。
マネージャーが集まるミーティングが週一回ありますし、全体ミーティングも月一回あります。
また、MBOという目標管理制度を取り入れていますが、そういった際に、私が毎回、直接話をするようにしています。また、入社時に行う研修では、私が理念の研修をしますし、責任者がステップアップするときにも直接研修をしています。
──最初に事業を企画された時にも、「企業理念」を作られたと思うのですが、それと「クレド」との違いはなんでしょうか?
理念は、骨組みでしかなくて、現場で働く言葉にはなっていなかったんです。
今のクレドカードを見ると分かるのですが、コーチの行動規範みたいなものは、コーチの言葉になっているんです。
──クレドは、それぞれの立場の言葉に落とし込んである、ということなんですね
そうです。現場のそれぞれの立場でイメージできる言葉に置き換えていったんです。時にはぶつかったり、色々なことが起きるんですが、「個人の教育観 は分かった。
でも、それは置いておいてくれ。あなたがキッズベースキャンプに来た理由は何なの?クレドに共感したんだよね?」というふうに、常に修復できるようなものですね。
──エムアウトから東急電鉄に売却された経緯を教えてください
このビジネスは、エムアウトの中である程度成長できていたんです。
ただその一方でこのビジネスモデルは上場には向かない。しかし今後の成長のためにはさらに資金が必要でしたので、そのタイミングで事業を理解してくれる新たな株主を探すことになりました。
その時の条件としては、「優先すべきは顧客と従業員であること」、「全員の雇用を継続すること」、「店舗を全部引き取ってもらうこと」でした。
その段階から、東急の方々は店舗見学や協業の話で交流があったので、思い切って、一緒にやるのはどうですか?という打診を私の方からしたのです。
エムアウト社内では、最初はダメだと言われましたが、田口社長が早くイグジットした方が良いんじゃないかと仰っていただき、それで動き始めたんです。
でも、東急以外にも関心を寄せる方がいらっしゃったので、取締役の3人で比較検討をして、ちゃんと高く買ってくれる候補を探しました。
──バイアウトはスムーズに進んだのですか?
探すまではスムーズでした。でもそこから先は、利害相反になってしまうところがあるので、私は、交渉には入ることができず、一切情報が入らなくて大変でした。
──今は、株主が東急電鉄に変わったわけですが、ストックオプションといった形式で、売却時に東急電鉄からもらい受ける、という話にはしなかったのですか?
あえて、それは条件に入れませんでした。
──ということは、島根社長はそこにはこだわりが無かった、ということですね
人並みに欲はありますので懐にいくらかは入れたいとは思いますが、何のためにこの事業をしているんだ、ということは間違えないようにしたいと思っています。
誰もこの事業を引き取ってくれない、といった状況になったら考えますが、自分でこの事業を所有したいという気持ちはそれほどありません。
私のものだ、とは全く思っていません。死ぬまでに社会に役立つ事業をどれだけ残せるか、というのが私のインセンティブなんです。
確かに100%自分の思いをとげら れるか、というと、そういうわけにはいきません。3人で行うとなると他の意見も聞かないといけないですし。オーナー会社になれば自分の思い通りに経営して いくことはできると思います。
けれど、どっちが良いか、というとなかなか難しいですよね。100%自分が所有した会社でやってみたい、という気持ちは、なくはないですけれど。
──キッズベースキャンプの場合は、オーナーになりたいわけではない、ということですね
そうですね。これは社会のことを考えている事業ですから。
いずれは、バトンタッチして誰かにやってもらいたいと思っています。事業の器が大きくなり過ぎたり、自分よりも素晴らしい経営者がいたら、その時はバトンを渡すべきだと考えています。
事業は、自分のためじゃなくて顧客や従業員のためにあるので、より良い人にバトンを渡していった方がいいじゃないですか。
その時また自分は、小さくても100%の会社をやってもいいし、違うところで仕事をしてもいいと思っています。
──キッズベースキャンプで、社会にどんな変革を与えたいと考えていらっしゃるのですか?
一つには、少子化社会を変えていく一助になればと思っています。今は東急沿線を中心に行っていますので狭い地域ですが、この地域から日本の社会を変えていければ、と考えています。
それと、「顧客」という意味では2つの顧客というのがありまして、目の前の「子ども」と「親御さん」です。親御さんに対しては、子育て支援でもあり ます。子供に対しては教育で、社会につながる人間力というのを提供して、子どもが社会に出たときに活躍できることを目指しています。
私は、 子どもの頃ボーイスカウトをやっていたのですが、時々、ボーイスカウトをやっていた、という共通の話題でスゴイ盛り上がることがあるんです。 ですので、例えば、子供達が大人になった時、「俺、キッズベースキャンプ行っていたんだよね。」「私も。どこどこ?」といった話になったら良いな、と。
ぼくらの時代は高度成長から少し脱却していく時代でしたけれど、今の教育制度は、文科省が決めた画一的な教育制度じゃないですか。だから、一流企業 に入ったり官僚になったりするのが最高だよね、と。でも、今はそういう時代ではなくなってきています。自分の成功、自分が行きたい人生を切り開いていく時 代です。だから、色んな分野で子供達が活躍してくれて、実はそれが、キッズベースキャンプ出身者という風になったら良いなと。
──今のお話を伺うと、子供をどう育てていくか、に重きを置かれているようですね
それはありますね。ただ、それだけではないです。僕の中での社会貢献という意味は、雇用創出もその一つなんです。しかも、単純な雇用創出ではなく、新しい職業を作っていこう、と考えているんです。
そのために、キッズコーチの資格化という事業も行っています。人材が活きる、というんですかね。キッズコーチという子どもの育ちに関わるプロが、その職業を志す若者を育てるといった、働く人が幸せになり誇りをもてるような最高の会社を作りたいんです。
キッズコーチをあこがれの職業にする、というのは 経営目標にも入れています。
──そうなると、キッズコーチもまた、顧客になりますね
そうです。サービス業なので当たり前ですが、良い人材が入って、良いモティベーションができあがり、モティベーションマネジメントの仕組みができあがる。そうすると、サービスが良くなるんですね。
良い人材、モティベーション、サービスの三角形を、うまく回すことを意識されているんですね。
そうです。
──個人的な観点で構わないのですが、経営をしていく上での信念、信条はなんでしょうか?判断基準にしているところがあれば、教えてください
一度事業に失敗した時に、どんなにお金に困っても、人を殺したり、傷つけたり、だましたり、人を不幸にするようなことは絶対にやらないと決めました。
それ以外の事については、社会性とかには関係なく、お金さえ稼げればいい、と思うようになりました。でも、パソナの南部さんの講演で感銘を受けて、 オフィスまでおしかけたのですが、あの方からは、社会への貢献とか社会性を考えてビジネスを成功させる人が本当にいるんだ、と、勇気をもらいましたね。
ですので、やっぱり社会の役に立つような、人を幸せにするようなビジネスをしたいな、という思いは強いです。最近、それを「社会起業家」というんだという事を知りました。社会起業家を目指したことはなかったのですが(笑)
──最後に、これから起業をする人へ、メッセージをお願いします
まず「理念」が大事だということです。理念で人を結びつけ、人を大切にし、組織を動かす。人がついてくるかどうかは、経営者が持っている「理念」と「人間性」による、ということです。
あとは、会議室で決めずに、実践のなかで成功に近づけるということです。だいたい、会議室で決めたことというのは失敗するこ とが多いので、会議室にこもらずに顧客と対話をすることが大事なんです。
そして、腹をくくるということ。リスクをとって挑戦しつづけることが必要ですね。
編集後記
私がキッズベースキャンプのサービスで感心しているのは、子供達を預かっている各店舗のスタッフである、キッズコーチの意識の高さです。
キッズコーチは、ただ子供を預かっているだけでなく、子供達と一緒に遊び、一緒に勉強し、また子供が成長するための気づきを与えています。サービス の機能面だけを考えたら、子供を預かるという業務だけを行えば良いわけですが、キッズベースキャンプの場合は、子供の人間力を伸ばすという付加価値を、各 コーチが意識をもって取り組んでいます。
そして、それぞれのキッズコーチが、自分たちの考えで それぞれのスタイルで子供達に接している姿を見た時に、キッズベースキャンプの強さは、画一的なサービスではなく、多種多様な価値を提供できるところに、あるのだと感じていました。
インタビューで分かったことは、島根社長の企業理念に対する強い想い、そしてそれを現場が理解できるように落とし込んだクレド。この2つの軸が通っているからこそ、スタッフが自分で考え、自分で行動できる風土が作られたのだということです。
更に、事業を思い立った時から事業に対する「想い」に関して、ブレていないという点がポイントでした。島根社長がおっしゃっている通り、起業時は事 業形態が固まっていないため、企業理念がブレまくることが多々発生します。そして、気づくと最初計画をしていたのとは全く違う事業形態になってしまうこと が、ごく当たり前に起こります。
企業理念をしっかり通した起業をするためには、いかにブレずに、周りを巻き込んでいくか、という大切さを学ばせてもらいました。