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Seminar

プロフィール:玉井 勝善代表取締役社長

1993年4月流通経済大学 経済学部 経済学科 入学
1996年4月~大学在学中、1年間休学しNew Zealandに滞在。「生きる事の意義」「世界観」という大きな財産を手に入れ、起業のきっかけとなる。
1998年4月トッパンエムアンドアイ株式会社(システム会社) 入社
1999年11月トッパンエムアンドアイ株式会社退社後、モジュレ株式会社 取締役に就任。新規事業及び営業の責任者として、WEBコンテンツ事業、CS関連事業を担当。
2000年12月タイムライン株式会社 取締役副社長就任
2001年9月26歳のとき、有限会社チアーズを創業 代表取締役就任(SORAの前身)※2002年8月、株式会社チアーズへ組織変更。
2005年1月株式会社チーアズとタイムライン株式会社の経営統合により、株式会社SORAが発足代表取締役社長に就任。
編集者コメント

今回は、WEBインテグレーターのSORA代表、玉井社長にインタビューを行いました。

父親が経営者だった影響か、起業家精神が旺盛な方です。父親の会社が倒産するという辛い経験をしながらも、自身も経営者を目指す、生粋の起業人と言えるでしょう。

社会人1年目のときから起業を考えていたそうで、サラリーマン時代から積極的に起業の準備をしていたそうです。

これから起業しようと考えている方の中には、資金がない、人脈もない、と嘆いて諦めている方もいるのではないでしょうか。

インタビューをお読みになれば分かりますが、玉井社長は決して恵まれた環境ではない中からスタートし、諦めずに頑張り続け、会社を着実に大きくされた実績をお持ちです。

夢をお持ちであれば、このインタビューを通して、いつかそれが実現できるのではないかと、確信を得られるのではないかと思います。

──創業はいつですか?

2001年です。もともとは株式会社SORAではなく、株式会社チアーズという会社でした。

お酒が好きだったので。プロジェクトが終わって「みんなお疲れ様!チアーズ(Cheers~英語で”乾杯”の意味)」というのが社名の由来。

創業して4年後、2005年にタイムライン株式会社と合併し、株式会社SORAになりました。

──初めて起業しようと思ったのはいつですか?

社会人1年目のときです。

サラリーマンをしていて、自分が自分じゃないように感じ始めてしまったんです。

「おい新人!」って言われるのもすごくいやでしたね。

学生時代、誰よりも目立って、誰よりもおもしろくて、誰よりもコミュニケーション能力高いと思っていた自分が、社会に出たら「おい新人!」と言われてしまう…。

黒いワイシャツに赤いネクタイを締めるという変な抵抗手段に出たりして、あえて「お前なんだこの格好!」って怒られるようなことをしていましたね。

今思えば、誰かに認めてもらいたいという気持ちの表れだったんだと思いますが。

──起業することに抵抗はありませんでしたか?

父も祖父も経営者ですし、親戚にも経営者が多かったので、抵抗はありませんでした。父が株式会社玉井広告を経営していたときは、とても羽振りがよかったですね。

庭師のおじいちゃんと家政婦さんまでいました。その頃は冷たい靴下を履いたことがなかったんですよ。

寒い日は、おばあちゃんがストーブで暖めておいてくれる。

ところが当然のことながら、経営していれば良いときも悪いときもあります。

そんな豪勢な生活から一気に小さな平屋のボットン便所になったことも。実は夜逃げも2回経験しています。

──それはすごい体験ですね。小さいときから鍛えられていたということでしょうか?

それはあるかもしれませんね。

むしろ、サラリーマンの安定している生活に違和感がありましたね。あまり魅力も感じませんでした。

──学生時代に起業したいとは思ったことはありませんか?

考えたことはなかったと思います。

ただ、後で起業しようと思ったときに、学生時代のワーキングホリデーの体験は、非常に自信につながりました。

大学を一年間休学して、ニュージーランドに行きました。

英語も話せない、お金も20万のみ、知り合いも誰もいない中、一年間暮らしてみたらちゃんと生きられたので、どんな環境でも自分はやれる、生きられる!という気持ちになりましたね。

起業したときも、そんなリスク抱えてお前よくやるなあ、と言われましたが、全然そんな風には感じていなくて、どこにリスクがあるんだ?別に大したことじゃないだろうと。

──最悪、会社がおかしくなっても生きていける、という自信があるわけですね

そうです。

おかしくなっても、セブンイレブンでアルバイトすれば、15万くらいは毎月入ってくるだろうと思いましたね。

──それだからこそ、新しいことにチャレンジできる支えにもなっている?

そうですね。

──起業前にこういう会社を作りたい、どういう商売をしたい、といったイメージはありましたか?

社長になりたいなという思いの方が強かったですね。

社長になるためにはどうすればいいかを考えたら、できることはITしかありませんでした。

──全然違う業種の営業代行をやっていた可能性もあるわけですね?

ありえますね。
とにかく新入社員が嫌でたまらなかったので、社長という形をもって自己表現したかったのかもしれない。

それに、世の中の社長達と対等に渡り合えるような環境に自分の身を置きたいと思っていました。

もうひとつは怠け者だということもあるかもしれません。

サラリーマンでは自分のパフォーマンスは絶対に出ないと思っていました。

──会社を辞めてからはどうされたんですか?

最初はモジュレ株式会社の取締役に就任し、その後タイムライン株式会社で副社長をやりました。

それから26歳のときに株式会社チアーズを起業しました。

──チアーズは、何人で始めましたか?

最初は1人です。

最初はお金が無かったので、自分を売り込んでいました。営業支援として自分を雇いませんか?と。

何社かと営業支援契約をしていただいて日銭は入ってきていました。

営業支援をシステマチックに標準化し、ITに特化した営業専門会社にしようとしたのですが、人が好きだったということもあり、いわゆるSESという常駐型のビジネスを始めたのが創業1年目の事業ですね。

派遣と営業支援がチアーズの二本柱でした。

このときの資本金はいくらだったんですか?

300万です。

──社員はひとり?

社員は社長だけ。

派遣する人材もチアーズの社員はひとりもいなくて、フリーや協力会社の人でした。

1年目に役員を1人いれたんです。

──そのときの役員はどこから?

当時、ストームボートプロジェクトという、サラリーマン中心の勉強会を月に一度開催していました。内容は、最新のニュースに対してのディスカッションや、ビジネスモデルの構築です。

そこに、この人は、と思う人をくどいて、勉強会に誘いました。

最初は勉強会そのものが目的だったのですが、途中からこの人達を創業メンバーに加えたいと思い始めたんです。

そこで、メンバーに「玉井さんと一緒に仕事したい」と思われるように、毎回議題に対して、綿密に勉強して参加しました。

最終的には勉強会から、3人ほど役員になりました。

──順々に参加していったんですか?

そうですね。

最初のメンバーは、退職したばかりで、次に何をやろうかと考えていた状況だったので非常に良いタイミングでした。

彼は管理の仕事と営業と開発もできたので、全部やってもらっていました。特に嬉しかったのは、現在は株式会社アイラボの社長である伊藤さんがメンバーに加わってくれたことです。副社長というポジションをあけてお待ちしております、と口説いて、2年間待ちました。

伊藤さんは元々、秋葉原でプラットホームというサーバー系機器の販売会社のシステムに関する責任者で、当時は26歳くらいでした。それでも部下が20人、秘書もいるポジションで、年収も800万くらい。

ところが株式会社チアーズに来たら、年収は240万円、しかも保険無し。ありがたいですよね。

──その方が、技術責任者として参加されたわけですね?

そうです。技術責任者として、副社長として入りました。

それとほぼ同じ時期に、勉強会に来ていた人間も、私達が楽しそうに仕事の苦労とかを話していると「玉井さん、入れてくれない?」と言ってくれて、年収600万を捨てて参加してくれました。

彼は、営業の役員になりました。

──営業のプロフェッショナルと、システム担当の方と、管理担当、そして玉井社長。その体制が整ったのが、創業してどのくらいでしたか?

2003年ですね。創業してからちょうど二年くらいでしょうか。

──集まってから創業するのではなく、とりあえずやってみようと、チアーズを立ち上げて、一年間あれこれ試しながら動き、先が見えたときにコアメンバーを集めたという感じですか?

そうですね。自分がやっていることをおもしろおかしく外部に発信していたら、興味を持ってくれた人が自然と集まってきてくれたんです。

管理、営業、技術、あと私、その体制が整ったときに、これはいろんなことできると思いましたね。
1年目は玉井商店で、2年目、3年目にチアーズになった、そんなイメージですね。

──そのときは融資を受けたり、資本金を上げたりしましたか?

それはしませんでした。というよりも、融資は受けられないと思っていました。

だって、そもそも最初会社を作りたいと言ったときに銀行口座を作れなかったんですよ。だから、借り入れなんて絶対できないだろうって思って。

おそらく3年目くらいまでは一切しなかったんじゃないかな。

──借り入れは一切なしですか?

はい。

──資本金300万円のままで?

そうですね。3年目に株式会社にしたのですが、そのときも融資は受けていないですね。

日銭を稼ぐ手段を考え、着実な収入を得られるようにしていたわけですね。それには何か戦略のようなものがあったんですか?

戦略というにはおこがましいのですが、創業1年目にある仕掛けを試みたことがありました。オオコジマって言う役員とふたりで考えたことです。

とにかくお客さんを集めよう!どうやって集めようか、交流会かな…?いや、やるならもっと大規模にやりたいなあと。

じゃあ一番目立つことやろうよという話になり、いろんな会社リストアップして、1月1日の12時を過ぎた瞬間に、一斉配信で、一番最初にメールを送ろう!「あけましておめでとうございます!たぶん私が一番始めにメールを送ったと思います!」とアピールして。

そのメールから、チアーズの売上げの40%~50%になるようなお客さんに出会えました。

──それは既存の顧客に対してですか?

新規の飛び込みですね。何百通と送りました。リストを自分達で作りました。

──それは、チアーズが人材を派遣しますという内容ですか?

そうですそうです。派遣しますって。それで出会った顧客が40%位の売上げにつながるというのは大きいですね。

そういう運命的なものおもしろいですね。ただの思いつきで、全然戦略ではないんですけれど。

とにかく考えたのは「自分達に一番にできることはなんだろう?」ということで。それでは一番早くに送ろう、って。

──会社を興して何が一番大変でしたか?

何が大変だったかなあ?具体的にはもちろんいろんなことがありますが、総じて言うと信用力が無かったですね。

──たとえばどういったことでそのことに直面しましたか?

チアーズの2年目のときだったと思いますが、たとえば住友商事さんのような大きな会社にご提案し、せっかく気に入っていただいたのに、いざ契約となると結局通らない。

銀行も最初に会社を作るときに、口座を作ってくれませんでしたよ。だから自分は銀行に対する不信感が強いです。融資も全然していただけませんでしたしね。

信用がないと、採用もひどいものですよね。人が来てくれませんからね。最初は、全般的に信用力がない。人、お客さん、金。全部の面で。だからこそ、知恵を使おうと思いました。

──どうやって会社の銀行口座を作りましたか?

最初に三井住友銀行で、会社を設立したので口座を作ってください、と話したら、体よく断られました。大手、都市銀行は全てダメで、巣鴨信用金庫行ったら、それもダメでした。

困り果てて、以前お世話になっていたモジュレの社長に、銀行口座が作れないと話したら、口座は紹介がないと開けないから、三井住友銀行の担当者に連絡しておくよと。それからもう一度三井住友銀行に出かけて行きました。

驚いたことに先方の態度はガラリと変わって、すみません先程は失礼いたしました!松村様からご紹介いただいてと、今度は応接室に通され、お茶までご馳走になりました。

これが社会なのだなと思いましたね。松村さんの紹介だと、こんなに簡単になってしまう。だから早く有限会社から株式会社にしたかったのです。

株式会社になったら信用力も少しは上がるから求人もしやすいし、お客様との取引もしやすくなるし、銀行から借り入れも出来るかもしれない。

信用力をつけるために、まずはみんなで貯金しようと。1000万円貯めて増資するまでは、なるべく給料は低くして、会社にお金が残るようにしました。

──反対に、創業時のすごく良かったなあという話も聞かせてください。たとえば最初のお客さんについてなど

チアーズの一発目のお客さんは、私が前職で副社長をやっていた株式会社タイムラインです。

これは本当に助かりました。

タイムラインは当時、それなりに利益が出てきた頃で、こちらに資本金が少ないのを知っていた代表の高田が、玉ちゃんところの初めてのお客さんになってあげようと、一ヶ月50万円位の営業契約をいただきました。

50万円もいただいたら、ほとんどフルで働かなきゃと思っていましたね。

でも、チアーズも大変な時期でしたからタイムラインの営業に全ての時間を割くことはできません。
そこで、タイムラインの経営的なことに相談に乗る、コンサルティングのような立場も含めてということで6ヶ月間契約を続けてくれました。それが本当に大きかったです。

それがなかったら死んでいたと思いますよ。

タイムラインも年間売上が2000万円くらいの会社ですから、チアーズに毎月50万支払うのは大変なことだったと思います。よく出してくれたなーと、今でも本当に感謝しています。

──資本金はいまおいくらですか?

3000万円です。

それは全部自己資本ですか?

私が8割くらいで、あとは役員、社員、外部の個人など。事業会社は入っていないです。

──外部から出資してもらったことはない?

昔はそういう考えもありましたが、面倒くさいというか、自由にできなくなる可能性があるので結局やりませんでした。

ただ、最近は割と柔軟に考えています。

事業会社さんと、事業上でシナジーが生まれるのであれば、持ち合ったり、買っていただいたりするのも良いかなと思っています。

──創業4年目に、チアーズとタイムラインが合併して株式会社SORAになりますね。これはどういうきっかけだったのですか?

当時、タイムラインの高田社長と私は、月に一回、社長会と称して二人で飲んでいました。

お互いの悩みを聞いていると、それは自分がいたらクリアできるのに、とか、それ高ちゃんがいてくれたらクリアできるよね、という話になります。

タイムラインは営業で困っていて、チアーズは技術で困っている…ということは、お互いに補完しあえるのではないかと。

数年前に高田社長とは、彼が社長で、自分が副社長として、一緒に働いていた仲ですから気心も知れている。

ところで、なぜ俺達は別れて仕事をすることになったのだっけ…?高田がそのとき「まあ、玉ちゃんが社長をやりたいっていってたからなあ」このタイミングでまた一緒にやるのもいいかもしれない、そう思い始めて半年後くらいに、私から切り出しました。

それぞれができること、リスクやメリットをしっかり考えた上で、もう一度一緒にやろうと。

私は起業家、リーダータイプ。彼は本業をしっかりできる人。

だから今回は、私が営業で、彼に中のことは任せる!と。これで今までの悩みが一気になくなると思ったのです。

ところが、これが大変でしたね。合併した後に、自分が鬱病になりました。

会社に行きたくないし、会社に行こうとするとお腹が痛くなるし、会社にいても涙が出てきました。

本当に辛かったです。合併直後の社員は、元チアーズが12~13人で、タイムラインが6~7人位のあわせて18~20人。

元チアーズの社員は良いのですが、元タイムラインの社員は高田という人物の魅力に惹かれてついて来ているわけです。

私と高田は、全然タイプが違う。彼は非常に頭が良く、緻密で仕事もできる。自分は勢いがあって常に前のめりなのですが、非常に大雑把である。

元タイムラインの社員からすると、今までの意思決定と随分と違ったんでしょうね。当然ビジョンもタイムラインのときと変わりましたし。

そうなったときに元タイムラインの社員が、噛み付いてくる。ようするに反乱が起こりました。そんな状態だったので、合併後の一年間は外向きの仕事は全然できませんでした。

たとえば結局、最初の賞与が出た給料日の次の月に、辞表が並びました。元タイムラインの社員はほとんどやめましたね。それも、かきまわして辞めました。

自分の悪口もたくさん言われました。

合併する目的は、両方の会社の社員に対して、規模を拡大することで、ひとつの会社ではできなかった、もっと大きな幸せをつくろうという気持ちでした。

みんなをハッピーにしたいと思っていたのに、自分はなぜみんなを苦しめているのだろうと思ったときに、自分の存在意義が分からなくなってしまいました。

自分がやっていることは、人を不幸せにしているのか?と思った瞬間に、精神が壊れてしまった。それを乗り越えるの結構時間がかかりましたね。

──その大変な状態からどのように回復しましたか?

まずは自分を回復させなくちゃと思いました。

当時、社員の誰にも強く言えなくなっていました。こんなことを言ったらまた辞めてしまうのではないか、と。

今自分には「自分」というものがないから、誰にも強く言うことができない、そんな風に感じていました。

自分を立ち直らせるためにどうしようと考えていたときに、コーチングをやっている友人に悩みを打ち明けたら、役に立つかもしれないと週に2回セッションをやってもらうことになりました。

自分が考えていることを口に出すというのはいいですね。

自分がなぜ悩んでいるのかがまとまってきたら、自信を持って人前で話ができるようになりました。そのときに社員を集めて話をしたんです。

今、社内の状況はぼろぼろで、雰囲気も悪い。更に収益も下がってきている。こういう状況だけれど、もう一度、第二創業と思って復活させたいと思うから、もし辞めたいと思う人がいたら今日で辞めてください、と。

残る人はSORAの社員として、これから自分も今まで以上に仕事に対して熱くやっていくから、その熱さに耐えてついてきてほしい。

この話の後に2人辞めました。

──元タイムラインの社員で残った人はいましたか?

ほとんど辞めましたね。

──高田さんは?

高田も辞めました。結局あの合併で残ったものは何もありませんでした。

高田が辞めるのはショックでしたね。

おいおいお前どういうことだよと、なんでいろいろ問題を残していけるんだよ、俺の信じた高田ってそんな人間だったのか!と。

今はもう仲がいいですけれどね。当時は本当に信じられませんでした。

人がいなくなるのは本当に辛かったなあ。その当時は自分が弱っているから、他の会社の社長と会いたくないんですよ。

熱っぽく、元気か?とか言われるのも嫌だった。将来の話をされるのも嫌でたまりませんでした。

今ではほぼ毎日誰かと飲んでいますから考えられませんが。

ただその後、失敗から這い上がったときにこの経験が生きましたね。

合併を検討している会社の役員や監査役として入り、合併のリスクや、どうすればうまくいくのかという相談を受ける立場になりました。

そしてSORAも、2009年の7月に、一社と合併しました。

当時はもう二度と合併はしないと思っていましたが、今はどうやればいいのか分かっているので、うまくいく自信があります。

あのとき、立ち直れて良かったと思っています。

当時は、ひとりになろうと本気で考えていました。

口に出る寸前まで来て。解散って。ごめん、給料1ヶ月分払うから、その最後に解散してやめようって。

──そのとき支えになったのは何ですか?

やっぱりねえ、社員ですね。期待してくれている社員、元チアーズの慕ってくれている社員がいて。

あとは嫁です。嫁が結構大きい。

──愚痴を聞いてくれたとか?

愚痴らないのですが、察してくれて。

自分はよく泣くんですよ。当時も、まあ今でもそうなんですが。

家に帰る前に悔し泣きして、帰るとばれてしまう。

そういうときに一緒に泣いてくれたときは、すごい嫁だなあと思いましたね。

嫁はビジネス本を読むのが趣味なんですよ。趣味というか、私が買って読まずに寝かせてある本を読破するのが習慣になったんだと思います。

しかも、読んだ本を要約して手紙で渡してくれたりしました。

今は、この本を読んだ方が良い、とか言って。

仕事をするのは好きじゃなくてずっと家にいるのに、一番良いタイミングで渡してくれる。おもしろいですよね。

──良い奥さんですね

最高の奥さんです。

──SORAの企業思念は?

経営理念が「夢をカタチに」というもの。 行動指針が5つあります。

・責任ある自由
・誠実
・永遠の挑戦者
・No Fun, No Life
・価値増幅装置たる組織

これは3年目に作りました。社員が6人のときに。

自分から、3人目までの役員までは、あうんの呼吸なんですが、その下にはうまく伝わっていない感覚がありました。

これは理念を明確にしなくてはと思い、半年かけて作りました。

──その後はスムーズに伝わるようになりましたか?

本当に機能しているかというと、未だにできていないかもしれないです。

でも、だからこそ必要ですよね。

言葉だけ作っても、お供え物みたいになってしまうので、実際の仕事の中でそれを言い続けていくことが大切だと感じています。

たとえば、なぜ電話は2コール目に取るのか、そんな小さなことでも、うちの理念の2番目は「誠実」だから、お客様に対して常に誠実にしろと言い続けるわけです。

──実際に会社を興して、数々の大変な体験経て、社長になりたいと考えていた当時に描いていたこと、やりたいと思っていたことはできていますか?

できていることと、できていないことが半々くらいですね。

できているのは、最終的にはチアーズも今のSORAも一緒なのですが、ウェブサービスを提供する会社にしたいと思っていました。

これは少しずつですが展開し始めています。もうひとつは起業家を排出する会社にしていきたいという思いがありました。

これはもう実際に、うちを卒業して経営に携わっている人間が7人くらいいます。

──半分できていないことは、どういうところですか?

できていないというよりも、考え方が根底から大きく変わったんですね。

当時は社長になったら自分の好きなようにできる、と思っていました。「俺が成功したい」とか、「成り上がりたい」という気持ちが強かった。

社員のことなんて全然考えていなかったわけです。

たとえば起業当時は30歳までに100億円稼いでリタイヤするって言い切っていましたが、今となってはそんな単純な話ではありません。社員が困りますからね。

社長になって何年もたって、相変わらず押しも強く、結局は自由にやらせてもらっていますが、最初の頃の感覚とは全然違います。

自分の影響範囲が大きいことを実感しているので、社員やお客様のことを考えた上で判断しなくてはなりません。

自由ではあるけれど、自分の好きなようにはできない。それをしたら社長ではありませんよね。

──社長としての覚悟ってどういうことだと思いますか?

覚悟なのかどうか分かりませんが、常に楽しくやること、ですかね。

行動指針にも「No Fun, No Life」と掲げているように。

結局答えは、意外に単純なところにあることが多いから小難しく考えても仕方がない。だって一番パフォーマンスが高いときって、やっぱり楽しいと思えるときだと思うんですよ。

それには苦労も必要ですよね。高校野球だって死ぬほど辛いランニングや練習があるから、夏の甲子園があれだけ輝きます。

片方だけってことはない、全部ひっくるめて楽しむこと。

──企業が成功するために社長の考え方として何が大事だと思いますか?

裏切らないこと、かな。それはたとえば、人から、玉井という人間とつながっておくと良いことあるなと思われることですね。

八方美人なのかもしれませんが、基本的に約束は守るようにしていますし、誘われたら断りません。

それが私なりの、マインドって言うのかな。そこからお仕事をいただいたりしますからね。大切なことだと思います。

──起業を目指す方に一言お願いします

いつも起業家を目指している人に私は「小難しいこと考えずに、早く起業してください」と伝えています。

計画を立ててから、とか、ビジネスモデルを作ってからとか、それは起業してからやればいいじゃないかと。

確かにないよりはあった方が良いですが、そんなものは世の中の変化の方が早すぎて、計画を立てているうちに意味がなくなってしまうかもしれない。

まずは一回、とりあえずこれで飯食える、って思った時点で、自分を経営という環境、代表取締役っていう肩書き、社会的な地位に慣れてから、ビジネスモデルや新しいこと考えても遅くありませんから。

最近の人は賢くあろうとして、こういう事業はどうだろうとか言っているのですが、まずは一歩踏み出して、走りながら考えてみてください、そう思いますね。

編集後記

玉井社長とお会いして感じるのはご本人から発せられる強烈なエネルギーです。

とても明るく、チャレンジ精神がおありで、とてもポジティブな考え方を持っていらっしゃると感じます。だからこそ、経営途上において精神的に落ち込んだという話を聞いたときはビックリしました。

時に会社は、社長であっても思い通りにいかない事が発生します。社長だったら何でも自由にできると考えがちですが、実は社長だからこそ自由にできないことが多かったりします。

そこで嫌になって社長を辞めてしまう方もいますが、玉井社長は苦労された中でも、諦めずに粘り続けたからこそ、今の成功があるのだと思いました。


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