プロフィール:遠山 正道 代表取締役社長
1985年三菱商事入社国内建設部、機械情報化推進室等にて勤務1997年日本ケンタッキーフライドチキン出向
1999年「Soup Stock Tokyo」をお台場ヴィーナスフォートに開店
2000年三菱商事初の社内ベンチャー企業「株式会社スマイルズ」を設立 代表取締役社長に就任(三菱商事㈱87%、遠山個人13%出資)
2008年MBOによりスマイルズの株式100%を取得同時に三菱商事退社
2009年12月現在Soup Stock Tokyoは東日本・東海地域に52店舗を展開。
編集者コメント
今回は、食べるスープの専門店「Soup Stock Tokyo(スープストックトーキョー)」を運営されている、スマイルズ代表、遠山社長にインタビューを行いました。
今回のインタビューで特に印象的だったのは、当初、遠山社長がこだわっていた方向で「スープストックトーキョー」の運営を続けていたら、目標としていた 50店舗ではなく、5店舗程度の展開で終わってしまっていただろう、というお話でした。
経営者にとって、会社の商品やサービスに「こだわり」を持つことは非常に重要なことです。
それらの思いが、社風や、商品やサービスの特徴になり、会社を大きくしていく原動力ともなります。
しかし一方で、社長の「こだわり」が度をすぎると、客観的な意思決定ができなくなり会社の発展を妨げる危険性があるのです。
私自身、そういった経験をしたことがあります。後から振り返ってみれば「何故それほどまでに、こだわってしまったのだろう?」と不思議に思うくらい、その時は周囲が見えなくなってしまうのです。
この「こだわり」による失敗談は、経営者仲間からも、よく聞きます。ですので、遠山社長の「こだわりを捨てられた」というお話は、起業を目指す方や、起業し日々努力されている方々にとっても、とても大きなヒントになるのではないかと思います。
──まず、「スマイルズ」という社名の由来から教えてください
当時、それは2000年だったんですけれども、ITとかストックオプションみたいな感じで横文字とかコンサルと か、そういうものが一番偉い、みたいな時代だったんですよね。
それで、私はもっと手触り感のある会社にしたかったので、あまりすかしたような横文字系じゃない名前にしたかったんです。
それで、うちの兄貴に相談していたら「それってつまり、例えば”スマイル”とかそういう感じ?」って言われて。
「スマイルはないだろう」って思ったんだけど、それがやたら衝撃的で、すごく気になって、それもありかもなー、なんて思ったんです。
そうしたら、港区に、喫茶店かなにかの登録があって、スマイルはダメで。 で、「スマイルズ」にしました。 言ってみれば私は、三菱商事の「社内ベンチャー第一号」みたいな感じなんですが、非常にその(「スマイルズ」という名前の)ずっこけ感が良いなあ、と思っていまして。
でも今この時代になってみると、ぜんぜん違和感ないなあって思ってますけれど。
当時はね、なんかその格好悪さが良いなあって思ってましたよ。
──「スープストック」を会社名にしようとは思われなかったのですか?
「スープストック」を会社名にするつもりはなかったです。
要するに、私もスープを売るためだけに生まれてきたわけではないので。
「スマイルズ」の後に点が2つ、コロンっていうんですかね、それが2つ付いているんですけれども、それはスマイルズの後にいろんなブランドが続いていく、という意味で、「スープストック」はそのうちの一個、という思いでした。
──社名には、どんな理念や思いがこめられているのですか?
社名ということで言えば、手触り感っていうのかな、システムとかじゃなくて。
もともと私は三菱商事にいましたけれど、以前開催した自分の絵の個展で、すごくいろんな気づきとか、熱みたいなものを感じることができたんです。
「個人性」と「企業性」なんて言ってますけれど、個人の情熱とか喜びとか、手伝ってくれた人への感謝とか、そういったものと、企業の持っている信用力とかお金とかネットワークとか、そういうものの、お互いの良いところを合わせたら良いんじゃないかと思ったんです。
どっちかというと、その「個人性」の方に重きを置いていて、なんか温かい名前にこだわっています。
──資本金はいくらでスタートしましたか?
私が2000万円をキャッシュで出しまして、それで18%だったから、資本金は1億円弱くらいだったと思います。
──会社の設立時、社内ベンチャーだったのに、ご自身でもお金を出された理由は何でしょう?
「ベンチャー」である、という思いがあったので、オーナーシップの一部をとりたいと思っていました。
だから身銭を切ってでも出資したくて、周囲からは、相当変わっていると思われましたね。でも結果として、出資していたのがすごく良かったです。
──18%とはいえ、社員がお金を出すことに三菱商事の反対はなかったのですか?
ストックオプションにしろ、出資にしろ、当時は、「ベンチャー」の背中を押す気運があったので、それが大きかったです。
社内ベンチャー制度(三菱商事内で企業内ベンチャーを推進する制度)というのも、実はスマイルズができた後にできたんです。
スマイルズの後にベンチャー制度ができて、その後3つくらい会社ができましたが、今はもうみんな無くなってしまいました。
──「スマイルズ」は、そのベンチャー制度で残っている唯一の会社なんですね
そうです。
──起業をしようと思ったきっかけを教えてください
普通にサラリーマンをやっていたのを転換したかったんです。
非常に優秀な上司の元にいて、私は10人くらいいるグループの一番下だったんですが、部長がいなくなったらどうやっていくのか、と、不安を感じたのが1つ。
それからもっと純粋に、このまま三菱商事で定年まで迎えたら、自分は満足しないだろう、と思ったんです。
そこで、「いっちょやってみるか」、という純粋な思いから、絵の個展をやってみたんです。
そこはかなり飛躍してるので、私自身もうまく説明できないんですけれどね。
まあ簡単に言えば、情熱とかが出たんですよね。だいたい商社と言うのは、メーカーを直接つないで、マッチングするだけ、みたいな感じなんです。
だから、業務というか、ビジネスの仕組みにしても、ある一部でしかないし、別にその商品そのものが大好きなわけでもない、スペシャリティがあるわけでもない。
だからなんか、どこかで中途半端な感じを受けていたんですね。
一方で私自身がやる個展は、室内にあるのは自分の描いた絵だし、周りの人がいろいろ手伝ってくれていたりして、やっていることを100%自分たちで理解できる。
ところが、いざそういうものを、ビジネスでやろうとした時、カタチに変換するのはそう簡単じゃない。
会社の方が、資金力だとかネットワークだとか信用力とかはある。
だから、うまく合わせて、今までありそうでなかった領域の商品やサービスができないか、と、考えていたんです。
──何が、実際にビジネスを始めようというきっかけになったのですか?
たまたまケンタッキーフライドチキンという会社と、接点ができたのがきっかけです。
ケンタッキーに無理矢理出向させてもらって、頼まれてもいないのに、当時のケンタッキーの社長の大河原さんと、今はローソンの社長になっている三菱の外食ユニットの新浪さんに、勝手にスープの提案をしたんです。
企画書の名前も「スープのある一日」というタイトルでした。
というのも、スープそのものというよりも、世界感、価値観、生活そのもののあり方、を、提供したいと思ったんですね。
スープメーカーになりたいわけじゃなくて、スープから広がる世界観に共感してもらいたかったんです。
そのためにインテリアはこうで、名前はこうで、という考え方があったり。
要するに共感してもらえればお客様は来ていただけるという風に思ってやったんです。
それはちょうど35歳くらいでしたね。
──企画書の他に、事業計画書も作られたのですか?
女性を使った物語の企画書がありましたが、それとは別に、数字のものもあったんです。
50店で打ち止め、なんて書いてあって。
10年で50店にして、40億円の売上げなんていう数字が書かれていました。
今ちょうど10年で52店舗、40億。イメージしていた通りですね。
私は、拡大していくことに対しては疑問を持っていて、何千店などにする必要があるのかな?と思っていました。
勝負とか、仕組みにはまっていくのが嫌で、企画段階で50店で打ち止め、と決めて書いたんです。
──そうすると、先に物語形式の企画書というものがあって、その後に数字を載せた事業計画書を作られたということですね
そうです。
──1号店はすぐに上手くいきましたか?
1号店はヴィーナスフォートに出して、その結果は良かったです。
でも実は、駅前とか商業施設じゃなくて、恵比寿公園の横の緑があるような場所とか、いわゆるカフェみたいな場所に出したいという思いが、最初はあったんです。
ただ、1号店が失敗すると後が続かないので、1号店はなんとしてでも成功させる必要がありました
ですので、あまり腑に落ちない部分も残しながら、ヴィーナスフォートにしたんです。
結果的にはそれがすごく良くて、ひとつには売上げが上がったということもありますが、余計なこだわりを捨てられたんですね。
例えば、恵比寿の方向性でやっていたら、取材を受け入れる雑誌の種類にまでこだわっていたと思うんです。ところがヴィーナスフォートに出る、ということで、そのこだわりが吹っ切れてしまった。
自分が自分であることをしっかりしていれば、別に崩れることもないし、だから雑誌なんかもすべて受け入れる、って言う風にしたんですね。
もし1店舗目を恵比寿に出していたら、たぶん5店舗くらいの展開で終わっていましたね。
──経営者はみんなそれぞれ、それが正しくなくても、こだわりたい箇所に固執してしまうと思うのですが、遠山さんの場合はそれを捨てられたきっかけがあった、ということですね
捨てたんだけど、別のこだわりになった、ということですね。こだわりの質が変わってきたんです
例えば駅ビルの出店にも同じことが言えるんです。
私が企画書の中に書いていないことの一つが、駅への出店だったんです。
当時は、駅ビルに対して、ちょっとどうかなっていう感覚があって。
1号店ができた後、JRさんに呼ばれて、駅ビルどうですか?って言われたんですが、私自身駅ビルに行かないから、正直、気のりがしなかったんです。
だけど、恵比寿のアトレができたあたりから、駅自身がだんだん良くなってきて、前向きに思い始めたりしたんです。
──柔軟に判断できたのは、なぜだと思いますか?
アートでもそうなんですが、ひとりで描いて、ひとりでにっこりして、振り向いたら誰もいなかった。
そういう風にはなりたくなかったんです。
やはり世の中とコミュニケーションして、評価もされたい。
最初にヴィーナスフォートに出店した、というのが、やはりその方向を選んでいるんです。
独り言みたいなものではなくて、社会ともっとどんどん交わっていく、そういうダイナミズムみたいなことのほうがむしろ価値がある。
私は「世の中の体温を上げる」なんていう言い方をしているんですが、世の中をちょっと良くしていきたい。
一人で気に入ったキャンバスに絵を描いているだけじゃなくて、世の中が良くなっていくというモチベーションの方が、面白くなったんです。
──自分たちの思いを一方的に押し付けるのではなくて、世の中と対話をしながら会社を大きくしていこう、ということですね
そうですね。──一番大変だった時期は、どんな状況でしたか?
猛暑が来て、セールスが一気に落ちたんです。
当時は事業計画や予算すらあまりきちんとしていなかったんです。
それは私の悪い点で、やってみなければ分からないから予算は立てない、みたいな感じだったんです。
でも、ちゃんと予算を立てて、それを実行して、実現して、その差があったら差を検証して、次にはその差が埋まるような施策を打つ。
当たり前と言えば当たり前なんですが、それが重要だというのを、その頃感じました。
あと、私はどっちかというと、数字とかマーケティングとかが苦手という思いもあって、嫌いだったんです。
でも、その頃から当たり前に、予算を立てて、目標に達したかどうか月末に日割りにして、それを時間単位にもブレイクダウンして、ファーストフードビジネス的に、やっていくようになったんです。
でもそれは、よかったなと思っていて、数字はみんなが共有できる喜びにもなるわけですよ。
みんなで目標をもって一緒になってがんばる。
店の単位で、社員とかアルバイトさんが一緒になって、同じところを目指すとなると、数字というのは良い掛け声になるんです。
言ってみれば当たり前のことができるようになって、良かったです。
──その当時は、キャッシュアウトしそうな状況だった、ということですか?
そうです。ぎりぎりでした。
しばらくはかなり激務で。
体を壊す人もずいぶんでてきてしまうような状況でした。
なので「もうみんな10時には帰ろう」とか言っても、スタッフから「それは無理です」とか言われる、というような感じでしたね。
──その時期、マネジメントを強化されて、数字管理とか人事管理とかいろいろやられたと思うのですが、誰か新しい人を入れられたのですか?
その頃、三菱商事からのメンバーとかも含めて、外部からいわゆるジェネラリストを採用しました。ジェネラルマネージャー3人がすごい頑張ってくれて、立て直したという感じですね。
──ある意味、それはうまく外部の力を使ったということですか?
そうですね。
経営もそうだし、自分の個展の時もそうですし、アイデアの部分もそうなんですが、ほとんど人のお世話になっています。
経営に関しても、うちの副社長にマネジメントを丸投げ、という感じですし、営業は営業部長がやっているし、人事は人事のマネージャーが自分が仕切っている、と思っている。
この間、松下幸之助の本を読んでいたら「部下の話を良く聞け」と書かれていました。
それはなんでかと言うと、コミュニケーションということよりも、部下の話を聞くことで、部下自身が成長する、という話だったんです。
聞くと言うことは、部下も自分で考えてやっていないと話ができないから、聞けば聞くほど、部下はもっとやらなきゃいけなくなる。
スマイルズの体制も、自分なりに格好よく言えば、そういう感じです。
だからみんなが、自分がやらないと会社が潰れちゃう、と思っているんです。
私にマネジメントみたいなものを期待する人は誰もいない。
だからそういう意味では、ありがたい体制になっていますね。
──遠山社長は一度会長に退かれて、社長にまた戻りましたが、どのような経緯があったんですか?
さきほどの大変な時期に、その状況を乗り切るために、決意を社内に示すひとつの特効薬みたいなつもりで、若い営業部長に社長になってもらう、ということをひらめいて、やろうと思ったんです。
ところが株主に言ったら、若い営業部長を社長に、というのがまだ早すぎる、時間を置こうと言うことになって、私は会長に退いて、私の以前の上司が社長になったんです。
それで何が起こったかというと、なんか意志のない会社になってしまったな、と思ったんですよね。社長はサラリーマンですし、この会社をこうしたいんだ、という明確な表現が無いんですよね。
それで、新規事業も、こんなことをやるべきだ、とか、こういう風に新しく打っていこうとかが、無いんですね。
そうすると、どうなっていくかというと、でき上がったスープストックというブランドを食いつぶして、消滅するまで営んでいく、ということになるな、と思ったんですね。
で、私も代表だし、会長だしね。
自分のことを棚に上げてって感じはあるんですけれど、このままじゃだめだと思ったんです。
──自由にやる、という遠山社長の思いと会社の方向が、ずれてきてしまった、ということですか?
そうですね。
私自身が会長に退いて、あれやりたい、これやりたい、という無邪気な雰囲気が失われてしまいましたね。
──スマイルズに関して、今はスープストックが52店舗になって、会社としては最初の事業目標は達成されたわけですが、5年後はどういう会社にして行きたいと思われていますか?
2009年9月に PASS THE BATON(パスザバトン)という新しいリサイクルショップを始めたんです。
おかげさまで非常に調子も良くて。
ウェブもやっていて12月から通販も初めて。ワールドワイドでやろうと思っていて。これはかなりのボリューム感になる予定です。 (編集部注:パスザバトンのホームページはこちらからhttp://www.pass-the-baton.com/)
「パスザバトンは」元々、三菱地所から丸ビルでやりませんか、という話があったんです。
ちょうどリーマンショック以降で、事故米という事件もあって、実務的にも、トレーサビリティの仕組みを導入したりとか、もうスープでピリピリしていたタイミングでした。
だけど、当事は世の中全体が100年に一度といわれるくらいの大不況の真っ只中。当然社内もピリピリしていましたので、こっそり話を進めてました。経営会議でもちょろっと言うくらいで。
私自身もやりたい気持ちと不安に挟まれていました。 みんなが一生懸命やっているのを、新規ビジネスで食いつぶして、というのは一番最悪な状況なわけです。
リサイクルというものに、振り切れたのは、いけてるリサイクル屋が無かったためです。自分で行きたい、納得のいくリサイクルショップが無かった。
だから、このビジネスをやろう、と思って始めたんです。
で、オープンしてみたら、施設全体の集客もあって、おかげさまで初月から非常に好調です。
最近ではもう、取材がとにかくすごく多いんですよ。 だから、むしろスープもがんばんなきゃ、みたいな状況になっています。
──パスザバトンは、今までの飲食業とはだいぶ違うビジネスだと思うのですが、始めるのにあたって、何か不安や懸念点はありませんでしたか?
社内の雰囲気が悪くなるのが、一番のリスクでした。
お金ももちろん重要なんですが、お金とかはまあどうにかなるとしても、私自身が元気無くなってしまうのが、すごいリスクでしたね。
私がやって失敗すると、社内の元気がなくなったり、外部からも、ああ、遠山さんがなんか失敗してるぞ、と、ここぞとばかりに言う人もいるかもしれない。
だから本当は私じゃなくて、誰か若い人が自分でアイデアを持ってやる、と言う方がぜんぜん良いと思うんですよね。
うまくいけば、他の若い人は、次は俺の番、と思えるし、失敗しても、ユニクロの柳さんの1勝9敗じゃないけれど、失敗を通じて、次の機会には、なんて言っていれば良い。
で、シュンとするのはその当事者で、まあ半年くらいシュンとして、次はチャンスにすれば良いわけですけどね。
──社長として覚悟していること、向き合っていることは何ですか?
たまに「意志」と言う言葉が出てくるんですね。 この間、雑誌ブルータスで「NOはインテリ、やるは意志」と書いたんです。
なんか日本語が変ですけれど。 NO、ダメ、というのは、未来のことを考える時に、合理的に考えれば考えるほど「できる」、という結論は絶対にありえなくなる、ということ。
要するに、神様しか分からないんです。ダメだと言う理由は合理的にいくらでも書ける。
だから、真面目に考えれば考えるほど、ダメな話ばっかりになっちゃう気がするんです。 では、どうしたら「できる」のかというと、合理的な結論じゃなくて、やると言うことに関しての「意志」だと思うんですよ。
例えば、その山の頂上に行って旗を立てるのが目的だったら、普通は歩いていきゃ良いんだけど、崖崩れにあったら別の道を選んだり、車で行った方が楽だなと思ったら、車で行ったり、もっと楽にということで、ヘリコプターを呼ぶかもしれない。
とにかく旗を立てる、という、目的みたいなものがあれば、手段とかそういうものは、後からいくらでもあると思うんですね。
でも、土砂崩れになったらどうするんだ、とか、ヘリコプターとかいうけど、そんなお金どこにあるんだ、など、できないことに関しては色々出てくると思うんです。
だからこそ、旗を立てたい、という「意志」をもってやれるかということになるんです。 そのためには「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」というこの3つのバランスが大事なんです。
「やりたい」ということも大事だし、それを支える社会的に「やるべきこと」、そして会社にとって「やれること」も大事です。
例えばスープで 10年やってきたんですが、50店で打ち止め、と言ってきました。
なので、社内的には会社としてこの先どうするんだという感じになるわけです。 社員はあまり口には出しませんが、みんな思っていて。役職だって増えないし。
だからそういう意味で言うと、スマイルズにとって新しいビジネスをやる意味は、すごくあると思っているんです。
私は3年前に「giraffe(ジラフ)」というネクタイ屋を始めたんです。 スープがあって、ネクタイがあって、次にリサイクルショップがあったら、次に何が来てもおかしくない。
「パスザバトン」でいうと、社内的な「やるべき」っていうこともあるし、世の中においても、リサイクルという行為はこれからも絶対になくならない。
その「やるべき」、みたいなものがいくつかあったら、手段はさっきいったように色々と出てきます。 利益はイマイチでも、世の中から与えられたことだとか、集まってくる人とか、情報とかを通して、次にまたやるべきことが見えてきたりします。
社員には、やりたいんだったら、やれって言ってます。 遠山基金3千万って言っていますが、良いアイデアがあったら3千万出すよって言ってます。
自分のポジションは自分で作れ、みたいな感じがあるわけです。
──それは「なぜやるのか」ということを大事にするということですか?
じゃないとできない。 今の世の中、需要と供給でいうと、供給が需要の何倍もあって、物があふれているし、飲食店だってそうです。その中で、普通にやってもうまくいかないと思った方が良いと思うんですよ。
それにはやっぱり「やる意味」とかがないと、周りを巻き込んでいけないわけだから、みんなで一緒にやるものに、納得性がないといけない。
──自分のしたいことだけを押し通すのではなくて、ちゃんと周りとバランス良くやる、ということですか?
そうです。 ただ、分かりやすくて、格好よくないといけない。
ベキ論だけを言っても、そんなの誰かが勝手にやればいいという話になってしまう。 やっぱりそこは面白くて、チャレンジングで、すげー、みたいなものは必要なんです。
──目標とされていた50店舗は達成されたわけですが、その成功にはどういった考え方、マインドがポイントだったと思いますか?
「意義」だと思います。 仕事はどっちかというと大変なことの方が多くて、スープだって毎日毎日立ち仕事だし、単純作業の面もある。 そんな中でみんな 10年がんばって続けていられるのは、なんか「世の中の体温が上がれば」とか、「女性が一人で行けるところがなかったよね」とか、そういう「意義」みたいなものがあるからです。
儲かる、とか、格好良い、とかだけだと、続かないと思うんです。 本当に大もうけできて、というのはそれはそれで悪い話じゃぜんぜんない。
でも、ダメになってきた時に、なんでやってるんだっけ?みたいな話になってしまう。
儲かるはずだからやってるんだ、となると、その倍、損する可能性だってあるわけだし、リスクは当然いつもある。 だったらやめとこうよ、みたいな、ことになりますよね。
──最後に、起業を目指す人に一言、お願いします
自分の「手持ちカード」と、「世の中」との、良い掛け合わせを見つけて欲しいですね。 例えば私の場合、「アート」という切り口、つまり、「アート」という「手持ちカード」があります。
でも「アート」と言っても、アート業界から見たら、それで食べていけるわけではないし、別にすごく詳しいわけでもない、 だけど、ビジネスというフィールドの中においては、「アート」とは、自分で考えた美しいものや想像しているものをカタチにしていく、ということだったんですね。
そういう意味で言うと、「事業」と「アート」はとても似ていて。 今のは「アート」という切り口でしたが、例えば私は、「東京の青山で生まれた」ということを、やはり一つの「カード」にしているんです。
「遠山さん青山で生まれて、羨ましいな」って思うかもしれないけど、僕にはそれしかないから、そのカードを握りしめているんです。
例えば、北海道で生まれた人だったら、窓を開けると山があって、その水がおいしくて、とか。 あるいは、親は岩手県で農家をやっていて、一声かければ村のみんなが集まってくれます、とか、そういう方が、格好よかったりしますよね。
カードは「オレはこれしかないんだ」という思い込みでも良いと思うんです。 私にとって「青山生まれ」はひとつの「カード」なんです。
そして「ファーストフード」は、私からすると、前は「格好よかった」のに、今は「安かろう悪かろう」になってしまった。
でも、悪い物は良くなれば価値になるから「ファーストフード」を自分のカードにして、もっとこうすれば良いな、とか、思い始めたんです。 「自分のカード」と「世の中の動向」とか「やるべき」みたいなことがうまくかみ合うと、独自の切り口になるし、もともとうまくいかないことでも、踏ん張ってやっていけるようなものにもなっていくと思うんです。
だから「自分のカード」と「世の中」との、良い掛け合わせを見つけて欲しいですね。
編集後記
インタビューを終えて、遠山社長はアーティストとしての表現欲求と、ビジネスマンとしてのリスク管理のバランスがとてもとれた方だと思いました。
起業のきっかけは絵の個展にあった、とおっしゃられている通り、遠山社長は、ご自身の絵で個展を開催できるほどのアーティストでもあるのです。 得てしてアーティスト気質の人は、自分が表現したいものを優先させるあまり、商業としての観点を忘れてしまう傾向にあります。
しかし、遠山社長はご自身の思いを追求しながらも、常に周りとのつながりを大切にされていました。
私も経営者として、遠山社長のバランス感覚を、ぜひ学んでみたいと感じたインタビューでした。
*追伸* 遠山社長は、スープストック東京を立ち上げてから軌道にのせるまでの様子を綴った本を書かれています。
経営の参考書として、一読をお薦めします。
スープで、いきます 商社マンがSoup Stock Tokyoを作る